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​研究プロジェクト

​現在の情勢と私たちの課題

Ⅰ. ロシア政府によるウクライナへの侵略戦争に反対し、障害のある人の「いのち」と「くらし」の安全を求め早期の戦争終結を

  願う ―「大国の横暴」と「力こそ正義」の時代に訣別を―

 

 5 月14 日、国連障害者の権利委員会は、ロシア政府が侵攻したウクライナで、推定270万人いるとされる障害のある人の「大半が安否不明だ」との声明を発表しました。自宅や居住施設から逃れ、避難所や国境に到達した人は非常に少なく、障害のある人の多くが「安全な場所に退避できていない」とみて、特にロシア政府に対し、即時停戦と国際人道法や国際人権法を順守するように求めました。同権利委員会は、ロシアとウクライナも批准する障害者権利条約の実施を監視する機関で、専門家18人で構成されています。障害者権利条約の締約国は、武力紛争下で障害のある人を保護し安全を確保する措置をとる義務があります。今回の同委員会声明は「再三の敵対行為の停止の求めに応じないロシアの『侵略』に遺憾の意」を表明しました。また、声明では、多くの障害者が「支援網から切り離され、状況に対処できない」と述べ、「薬や酸素、食糧、水が不足し、医療設備などを利用できない状態で、自宅や施設に取り残されているようだ」と指摘しています。

 それにもかかわらず、国連人権高等弁務官は、障害者に対するロシアによる戦争犯罪と疑われる攻撃が起きていること、具体的には、3月30日の国連人権理事会で、「銃撃を受け、数十人の犠牲 者が出た介護施設が少なくとも一つある」との報告を受けたことが明らかにされています。

 障害のある人への支援は急を要します。また、戦争下の障害のある人の実態の解明には時間を要します。いずれも、一日も早い、戦争の終結が求められます。障害のある人の支援や研究に関わる私たちは、今回の戦争をどのように受けとめ、どのように考えたらよいのでしょうか。全国障害者問題研究会(全障研)は、3月10日、『ウクライナにおける武力行使と戦争に反対し、障害のある人と家族のいのちと安全を守ろう』の声明を発表しました(この声明は、滋賀支部機関紙「しがじん」(2020 年 5 月発行)に全文掲載されています)。今回は、その一部を紹介し、改めて、平和の尊さと戦争と障害者の問題について、理解を深めたいと思います。

 

 「ロシア政府によるウクライナへの軍事侵攻は、国連憲章に反する侵略行為であり、武力により他国の主権を侵害すること、戦争によって人々の生活を破壊し、子どもを含めた多くのいのちを犠牲にすることは、いかなる理由によっても正当化できません。」

 「戦禍を逃れて周辺国に避難するウクライナの人びとへの人道的支援がはじまっています。ウクライナ国内では、食料品の不足をはじめ、深刻なライフラインの危機に陥っており、障害のある人びとと家族が生き延びるうえでいっそうの困難が予想されます。ウクライナの障害のある人びとと家族が、障害者権利条約第 11 条(危険のある状況及び人道上の緊急事態)に則して保護されるとともに、食料と住居、移動と情報手段の確保、医療とリハビリテーションの提供などが、国際機関や諸国の連帯によってすみやかになされるよう求めます。」

 「全国障害者問題研究会は、戦争がもたらす惨禍への反省のうえに『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有すること』を謳った日本国憲法の理念を、障害のある人びとの権利において実現することをめざして研究運動をすすめてきました。わたしたちは、生命・生存・発達の権利を保障しようとする発達保障の理念に立ち、ウクライナにおける武力行使と戦争に強く反対します。」

 

 国連は、国連総会緊急特別会合(3月2日)を開催し、「ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議」が193国中、賛成141ケ国、反対5ケ国の圧倒的多数で採択し、一日も早い戦争終結を確認しました。大国の戦争を侵略(侵攻)とみなし、国連の総意として決定したことは、国連の歴史において、 画期的な取り組みであると言われています。国連は無力との声も聞かれますが、国連のこうした取り組みと連帯しながら、世界各地で多くの市民が侵略反対の声をあげ、さまざまな支援活動も広がってきています。武力による押さえ込みと横暴を許さず、粘り強く、平和を求める声を広げていくことが大切と考えます。

 一方、先の声明でも指摘されているように、今回の戦争に乗じ、日米が共同で管理・運用する「核の共有」や憲法9条の「改正」を押し進めようとする動きがみられます。最近では、5年以内に防衛費の対GDP (国内総生産)比2%以上の拡大を主張する論も生まれています。現在の防衛費の2倍以上の予算額に相当しますが、社会保障費の削減や消費税率のアップ等、国民生活を犠牲にする論と言えますが、国民の福祉・教育・生活の保障をどうしようとするのか説明がまったくないのは無責任です。この論は、また、唯一の戦争被爆国であり、戦争放棄を掲げる憲法9条をもち、これまで大切にしてきた、日本の平和と民主主義の価値を否定する動きと言わざるをえません。このような動きは、政府の安全保障を批判した学術会議会員の任命拒否や、大学が自主的に取り組んだ「非核平和宣言」を敵対視し、取り消そうとする圧力にも重なります。

 「力こぶ」で相手をねじ伏せるのではなく、「国の大小ではなく、理念、正当性を問う時代」を迎えつつあるという、ある識者の論に賛同し、今回の戦争への世界中の反対の声は、その歴史的な岐路を切り拓く 「深部の力」でもあると考えます。

 

Ⅱ. 障害のある人の生活と支援を考える

 

 今年度、国連の障害者権利条約の日本の取り組みについて、日本政府の初の審査がおこなわれます。国連は、政府の報告書が妥当かどうか、民間によるパラレル・レポートも同じまな板にあげ審査をおこないます。また、障害者総合支援法改正を控え、障害者自立支援法違憲訴訟団と国の定期協議がこの秋にもおこなわれることになっています。後者については、この7月の参議院選挙が鍵をにぎっています。 以下では、①3年目を迎えたコロナ感染について、全国、ならびに滋賀での状況と課題の検討、②滋賀支部のアンケート調査や全国的な状況等から、ライフステージの各時期の課題と支援の検討、③ライフステージの各時期の検討からステージ間の協同・つながりの重要性を考えてみることにします。

 

1.第6波コロナ感染で明らかになった新たな課題

(1)全国的な状況と課題

 コロナ禍でさまざまな問題が顕在化しました。新型コロナ感染の第6波で、障害者福祉事業所の多くでは、感染した障害のある人が入院できず、施設内での療養を余儀なくせざるをえませんでし た。新聞等で堺市にある社会福祉法人は、感染防止のため事業を停止するなど対策を取ってきましたが、1月から3月末までに利用者と職員合わせて約300人が感染し、そのことと関連し、約8600 万円の損失が生じたことが報道されました。事業継続が危機的状況に瀕していると言われています。その背景には、事業収入が日割り計算に変化したこと、陽性者支援の費用を事業所が負っていること等があります。この法人は、公的責任のもとで解決されるべく、他団体と連携しながら、国の制度改善の運動を強めていこうとしています。

 また、テレビや新聞等の報道により、障害のある人と家族にとっては、①緊急時のサポートが少ないこと、②入院のハードルが高いことが明らかになりました。コロナの影響に関するアンケート調査で、普段使っている福祉サービスを利用できないことがあったかの問いに、「あった」「部分的にあった」と回答した人の割合は、57%であったことが報道されています。 

 ①については、知的障害のある人が通所や外出支援を利用していても、家の中に入ったら家族がすべてを引き受けているため、「お家には家族がいるでしょう」ということで、行政からの支援決定がだされにくい状況があること、加えて、緊急一時保護としてのショートスティや短期入所も感染リスクのため使えないことをあげることができます。また、地域で生活する一人暮らしの重度の知的障害のある人は、4つの事業所による共同で20人の生活介助と外出支援を受けていましたが、支援者が感染したため、通所利用と生活介護が困難になり、危機的状況に陥りましたが、事業所が支援態勢をひねり出すことで、なんとか乗り越えることができたということです。このケースは、一人暮らしを希望する重度知的障害の人の自立とその支援態勢の課題が明らかになった事例として理解することが できます。

 ②については、特に、重度知的障害の人の場合、入院以前の問題としてかかりつけの医師を見つけることが難しく、さらに、入院できる医療機関が限られている問題があります。新型コロナ感染の病棟は、原則、付き添いができないため、ますます入院が難しくなります。たとえ、付き添いができても交代が難しいため、一人で付き添わなければならず、人員確保が困難であるという問題が生じまし た。厚生労働省は、感染した障害のある人の対応について、障害特性に合わせた受け入れ、医療機関・宿泊療養施設の検討を通知し、また、感染対策に留意した支援者の付き添いを積極的に検討すること等を通知しましたが、現状の態勢では現場ではなかなか対応ができないと報道されています。この間の地域における総合病院の統廃合、保健所の削減等が影響していると言えます。国民の「健康」と「いのち」を守る医療システムの改善が強く求められます。

 

(2)滋賀県での状況と課題

 次に、第6波における養護学校と通所施設の取り組みと課題について、滋賀での実践から報告し、理解を深めたいと考えます。

 

a.養護学校からの報告

 まずは、感染リスクについてです。障害のある子どもたちは、マスクの着用や密を避けることが難しいことが多く、より感染リスクは高いと言えます。持病を抱えている子どもも少なくありません。そんな中で養護学校の大きな課題となっているのがスクールバスです。常に定員を超えているような状態での運行の中、ひとり感染者が出るとバス全体の子どもたちに感染リスクがあります。県はバスの増車などの対応をしていますが、それでも追いついていないのが現状です。結局、バスの感染リスクを下げられずに保護者送迎をお願いしているケースもありました。

 次にコロナ禍での活動保障についてです。コロナ禍になり、感染不安から登校させたくないという保護者さんはたくさんおられます。この2年、一度も登校ができない方もおられるのが現状です。国はオンラインでの学習保障を考えていますが、障害のある子どもたちの実態やそれをサポートする保護者の負担を考えると、現実的ではありません。

 日々の学習の中でも、道具の共有ができずに学習内容を変更せざるを得なかったり、密になるという理由で子どもたちの大好きな遊具が撤去されていく現実があります。「友だちに近づかない」「黙って食事をする」など本来するはずのない指導を繰り返すことに、教師も疲れ切っているのが現状です。もちろん安全は第一ですが、矛盾も多くなり、それも教師や子どもを苦しめている原因だと思います。県は消毒などのサポートという名目で支援員を新たに配置していますが、結局その方たちにも授業に入ってもらわないといけないような、そもそもの体勢の厳しさもあります。

 このようなことが起きるのは、コロナ禍以前より「本当に子どもたちに必要なことは何か」「教師は何を伝えていかなければならないのか」という議論がおざなりにされてきた結果とも言えると思います。2年前の全国一斉休校の際、多くの教師が「学校の意義はなんなのか」と考えました。いまだコロナ禍の終わりは見えない中ですが、今こそもう一度捉え直す時なのではないかと思います。

 

b.成人期通所施設からの報告

 コロナ禍の下、成人期障害者の置かれた状況はどのようなものだったでしょうか。 家から一歩出るとすぐにマスクをする、不安の高い利用者はより不安定になりました。歯磨きや食事の支援ではフェイスシールドや手袋を通してでしか接することができません。10 日間近く自宅やグループホームからから出られない人もいました。ヘルプや土日の日中支援にも出かけられず、引きこもることを余儀なくされた利用者も多数いました。

 その一方、関係者から要求を上げることで多少補助金や加算が実現しました。日中支援事業所では、各自治体ごとに相違はあれ、アクリルガードや衝立、30 万円近い空調設備の設置に補助金がもらえました。反面膨大な手続きや事務作業は増えました。また、家庭を持つ職員スタッフは、介護している家族や子どもが在宅になると欠勤、結果実践面にも影響が出ました。クラスターが起きると数ヶ月、未発生の職場から勤務の応援をして凌ぎました。更に家族の負担は以前より増大し、ヘルパーも無理、昔の家族頼みの生活が強いられ介護力の低下が更に拍車をかけました。

 岡野八代氏(きょうされんトモのニュース No.504「いのちのケアを大切にする、新しい民主主義の社会をめざして」)は、以下のように述べています。

 

 「今回のコロナ·パンデミックは、ひとは一人で生きて行けず(=自助はそもそもあり得ない)、つまり誰かに依存しなければ生きていけず、依存する者にたえず気配り、配慮し、手をかける人が社会にとって不可欠で大切(=エッセンシャル)だと言う事でした。そして(略)ケアワークに就く人たちも、同時に社会的・政治的な支え(=公助)が必要だということです。いのちを深く見つめると、自己責任や応益負担といった考え方がいかにゆがんだ考え方かが見えてきます(以下略)。」

 

 「ケアラーも利用者もともに豊かに生きる」権利保障を今後どのように実現していくか。上記は、主に知的障害者の成人期の日中支援事業所の例ですが、在宅医療や重心の成人期の家族の状況等についても、今後の是正が喫緊の課題であることが改めて明らかになりました。

 田中智子氏は、継続して、知的障害の人と家族のケアと生活について、調査・研究を続けています。具体的な資料と調査・研究の拠って立つ方法を通して、知的障害の人と家族のケアと生活の問題の理解を深め、研究や運動の支えにしていきたいと思います。田中智子氏は、「物質的な問題、物質的不足があるということがどのような生活の問題につながるかをはっきりさせることが大事だというところがこの調査の意味なのだ。これはすごく価値があるデータだ」と、ある研究者からアドバイスを受けたことが励みになったと述べています。このアドバイスは、私たちの研究運動にとっても貴重であると言えます。

 

2.障害のある人の生活と支援をライフステージの観点から考える ―2021年度滋賀支部の調査研究を基にして―

(1)全国的な状況と課題

 文部科学省は、特別支援学校設置基準を昨年制定し、2020年から2024年、教室確保の改修費等の国庫補助率を3分の1から2分の1に引き上げ、都道府県に整備を促しています。しかしながら、学校の規模の上限や通学条件の範囲等の規定がなく、さらに、既存校への適用は猶予するとさ れており、今のままでは、大規模化が容認されることになり、教育条件改善にはつながりません。引き続きの取り組みが求められます。

 文部科学省は、また、この3月、新任教員が採用後10年までに、特別支援学校や小中学校の特 別支援学級で複数年教える経験を積むよう求める通知を出しました。この通知は、通常学級に在籍する障害のある児童が増えていることを踏まえた、「特別支援教育を担う教師の養成のあり方等に関する検討会議報告」にそったものです。根本的な解決のためには、子どもたち一人ひとりへの手厚く丁寧な教育が必要であり、そのためには、教師の多忙を解決しゆとりをつくることが不可欠であり、教職員の増員を優先事項とする必要があると考えます。

 滋賀県の養護学校では年度末から複数校で常勤講師が見つかっていません。ある特別支援学校では、定数内の臨時講師が20名を超え、代替の常勤講師も20人以上必要と報告されています。さらに非常勤講師や看護師など会計年度任用職員を合わせると一校で

100人近い非常勤雇用が 必要とのことです。入学式当日、常勤講師の欠員は埋まらず、時間講師での補充となりました。教育にしっかり予算をつけ、非正規ではなく正規採用が強く求められます。 滋賀県は2022年度から、特別支援学校小学部の希望する児童に地元公立小で副次的な学籍 「副籍」を設け、授業や行事に参加できる仕組みを採用しました。逆に、公立小学校に在籍する児童も条件が満たされていれば特別支援学校に副籍が得られるとしました。「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議報告」(2021)に沿った取り組みですが、学齢期における「共生社会」 実現の取り組みとして強調されています。教育現場での十分な議論と相互理解が教育の論理にしたがって深め合うこと、そして、ここでも、教職員の増員が求められます。

 成人期の問題では、滋賀県に特徴的な問題として、以前から、強度行動障害の方の暮らしの問題があげられ、それは、施設での生活支援が必要な方への施策が全く不十分なこと(滋賀県が生活施設を設置しない方針であること)に起因しています。沖縄県、青森県、石川県等の施設に入所せざるをえなくなり、「共生社会」の観点からも、障害のある人と家族との関係からも大きな問題と言えます。  滋賀県内の入所施設は24ケ所で定員はわずか計1039人。現在、入所施設待機者数456人、他府県への入所者数183人で、県外施設入所者を合わせると639人が不足している状態です(6月5日発行の滋賀民報)。この問題は、今年度の障滋協総会議案書でも詳しく述べられ、行政への働きかけも積極的におこなってきています。知的障害のある人等の高齢期の支援のあり方を含め、喫緊 に解決すべき課題です。

 

(2)2021年度滋賀支部の調査研究から

 滋賀支部では昨年度「障害の重い人(子ども・成人)への実践と発達に関する調査」を就学前、学齢期、成人期の実践に関わる人を対象におこないました。調査報告の全体は、支部のホームペ ージに掲載する予定ですが、ここでは、3つの時期の課題について、それぞれまとめることにします。調査は、「障害の重い人」を対象にしていますが、ここでは、それを含め、幅広く考えてみます。以下 の内容は、それぞれの時期についてのまとめを担当した者の考えに基づいています。

 

①就学前期について

 回答は、児童発達支援センター、保育所・幼稚園等の支援(巡回相談など)を行っている課からでした。「障害の重い人のイメージ」としては、他ステージと比して、「重症心身障害」や「重度肢体不自由」を想定した回答が多くみられました。この子どもたちのなかには、濃厚な医療的ケアを必要とする子どもたちも多く、また、低年齢でもあって、日々、命そのものを維持することが課題になっている子であり、訪問療育などの制度が整いつつあるなかで、この子たちへの支援のありかたが強い問題意識になってきていることのあらわれとも考えることができます。一方、集団療育や保育所・幼稚園等では、活動的な子どもたちの集団のなかで「動けない」子どもたちの保育をどのように展開するかが課題になっているとも考えました。

 上記以外でも、意思表出やコミュニケーションが難しい子どもたちもあげられており、「大切にしていること」としては、その子たちも含め、支援者側が、どう子どもの思いや願いをよみとるか、ささやかな変化をとらえることを大切にしている回答が多くみられました。また、「楽しさ」「遊び」「手ごたえ」にかかわる回答も複数あり、動けなかったり表出が難しかったりしても、その子自身が楽しめる世界をみつけようとする姿勢が伝わってくるものでした。

 さらに、保護者との連携にかかわる回答が多かったことも特徴的でした。保護者との関係が密であり、児の発達保障の出発点を支えるうえで、保護者支援が大きな課題でもある就学前ならではの特徴と言えるでしょう。その際、障害理解や受容を一方的に求めることではなく、上述したような、ささやかな反応や変化を保護者と共有することで、保護者と一緒に子どもの育ちを慈しんでいこうとする回答が複数みられました。

 「悩み」は、上記の「大切にしたいこと」と表裏の関係で出てくるわけですが、具体的に「本人の思いをどこまで理解できているのか」、「興味をもっていることがわからない」、「遊びが見つけにくい」といったことが多く出されています。これは、他ステージともかかわって、今後の実践交流や研究課題の柱 の一つになると考えます。また、周囲の変化に敏感で泣けてしまったり、睡眠-覚醒のリズムをうまくつくれなかったりする子への支援も出されていました。これは、低年齢であるがゆえの敏感さを反映している面と、とりわけ訪問療育の場合、設定されている時間が必ずしも本人のリズムとあっていない場合もあるという保育条件にかかわる課題等があると考えます。さらに、保護者自身も子どものことをどう受け止めていくのか悩んでいる途上であることとかかわっての保護者支援にかかわる「悩み」も出されていました。

 「深めるべき課題:実践」としては、上記にあげた「子どもの思いや願いをどうよみとるか」、「本人が手ごたえのもてる遊びをどうつくるか」が多くあげられているのですが、実践記録の書き方、介助用具についても少ないながら回答がありました。また、発達相談を担っている方からは、障害が重い子の発達をどうよみとるかについてあげられていました。

 さらに「深めるべき課題:制度」として、保護者のレスパイト、就労支援が多くあげられており、保護者の介護に多くがゆだねられている現状がうかがえました。さらに、学校卒業後や成人後に言及した回答が複数あり、就学前から成人期まで見通して考えていることが伝わってきました。また、誰もが 幸福に生きていける社会になるためにもっと制度が整えられて欲しいという意見も複数あり、これは、そのような社会になっていないことへの不安や問題提起でもあると考えます。

 

②学齢期について

a.実践面の課題

 障害の重い子に関わらず、全般的に言えることですが、障害の重い子には特に顕著な課題として以下の点が挙げられると思います。

・学習指導要領に基づいた指導を背景にして、能力や技能の習得、適応主義的な指導が主流になりつつあり、「(要求に基づいて)子どもが変わった」、「子どもと思いを共有できた」、「子どものことが理解できた」という実感がもちにくく、教師自身が手応えを持ちにくい。

・発達的な子ども理解の低さ、実態や課題に基づいた実践作りや文化の継承といった視点の弱さ、子どもの思いや生活に思いを馳せる力の弱さなど、教師の専門性が追いついていない。

・多忙化の中で、教師間のコミュニケーションが十分に取れず、子どもの捉え方や指導について十分に共有が図れないことや話し合いの中で深く子どもを捉えようとする営みが十分でない。また、時間が取れても、体制の厳しさや上記の課題とも関わって、管理的に指導(教師の枠にはめるような指導)する傾向が強い。

b.教育条件の課題

・教員定数配置が年々、悪化しており、先生が足りない状況が続いている。中学部、高等部では 2 人担任が当たり前になりつつあり、小学部でもクラスの子どもの数を増やして3人担任を確保している状況。子どもを把握することや安全面の確保、日々の運営で手一杯な状況が続いている。大規模校では、教員不足が顕著で、厳しい体制での指導により、教育の質が低下しやすい状況にある(管理的な指導になりがち)。また、過密化により、施設・設備の不足し、場所の調整、時間の調整、行事の個別化など、子どもに適した教育環境からは程遠く、不要な業務が増えて教員の疲弊感が大きい。

・教室がない、遊ぶ場所がない、備品がない、バスが足りない、設備・備品が壊れても壊れたままなど、教育環境が不十分。県に挙げても「予算がない」ことを理由に改善されず、学校全体に諦めムードが漂っている。結局、その皺寄せは子どもたちに返り、様々な面で過密化が進み、時間や状況に子どもを合わせる場面が多く、子どもが我慢を強いられている状況にある。

・実践面に関わる課題と教育条件の課題は、障害の重い子への実践を厳しいものにしている。行動面に特化した対応、子どもの後追いや教師の枠にはめる関わりが中心になり、能力や技能の獲得、生活への適応力を高める実践が主流になりつつある。子どもの願いや文化の継承といった視点(子どもが心を揺さぶられる経験)が弱くなっている。それらが大人への不信感や自己肯定感の持ちにくさ、思いを蔑ろにされる経験による無力感やストレス、二次障害やこだわりを生み出しているのではないかと感じます。

 本来、最も手厚く教育を保障しなければならない障害の重い人たちが、学校を取り巻く様々な課題の 不条理を全て引き受けているように感じます。

 

c.大切にしたいこと、今後に向けて

・実践に「手ごたえを感じる時とは」、「深めたい実践課題とは」の項のアンケート結果が今後の道標になると思います。どんなに障害が重くて、思いや願いがあり、自己実現を目指している人生の主体者として捉えること、そこに価値を置くこと、その価値を共有できる仲間を作っていくことが必要だと思いま す。一方で、頭で分かっていても、それを胸を張って、確信を持って言えるだけの自分自身の経験や実感が不十分で心苦しい思いです。

 「どんなに重度の人も発達する」、「発達する権利がある」、「文化を享受し、豊かに人格を育む教育を」という教育観を深めたいし、広げたい、というアンケートが自分の問題意識と近いように感じました。アプローチの仕方については、まだイメージが持てませんが、障害の重い人の思い、願い、自己実現への営み、存在そのものに価値を置き、深め、広げていくことが自分自身の課題であり、社会全体の課題として、捉えられていくことが必要なのではないかと思いました。

 

③成人期について

 青年成人期は、作業所などの働く場、グループホームなどの日常生活の場、余暇支援の場など多様な場面からの回答が寄せられました。青年・成人期の回答の特徴として、行動障害や介助度の高さから思いやねがいが見えにくい人を障害の重い人と位置づけた上での回答が多く、「大切にしていること」や「悩み」、「手応え」についても、思いやねがい、コミュニケーションに関する記述が多くみられました。また、関係機関からの個人や障害などに関する情報が少ない中で、対応に苦慮しながら手探りで実践せざるを得ない現状がアンケート結果から見て取ることができました。

 作業所や日中支援では、障害の重い人に対して個別対応になることも多く、障害のある人への集団保障だけでなく、職員が集団的に相談しながら対応を考えることが難しい実態があります。そのため担当する職員の力量に任されてしまうことも多く、重い障害のある人への関わりを通して、自分自身と向き合わなければならない緊張感が常にあります。

 研修の機会も設定されていますが、障害のある人の理解といった視点よりも、例えば、介助度の高い人に対する負担の少ない介助の方法や、少ない職員体制で「効率よく」行動障害の方を支援する方法などハウツー的な内容が多いと言えます。しかし、職員の多くは、どんなに重い障害があっても人として向き合うことをねがい、小さな変化に仕事のやりがいを感じています。職員間での実践論議 を通して、その小さな変化を共有し、より確かなものとしていくことが実践的力量を培っていくことにつながっていくのではないかと考えます。

 厚生労働省が強度行動障害区分をもうけたことで、行動障害を対象とした事業所(作業所や生活 ホームなど)も県内に設置されつつあります。また、どんなに重い障害があっても地域で生活することを支える(=生活施設は作らない)ことが滋賀県の方針になっている以上、地域で暮らす重い障害のある人は今後ますます増えていくと考えられます。重い障害のある人に地域でのゆたかな生活を 保障するためには、障害児(者)福祉の現場で働く職員の専門職としての地位の向上〈専門職としての職員養成、労働条件の改善など〉が急がれます。

 また、「深めたい実践や制度の課題」として、学齢期から卒業後、卒業後から学齢期への課題が「要望」として出されています。教育の現場と福祉の現場がお互いの実践を交流できるような機会を設定し、理解を深めていくことが、ライフステージ間の移行をスムーズに行うためにも、重い障害のある人のゆたかな発達を保障するという観点から重要であると考えます。

 重い障害のある人は、「わからない」ことを理由に長い間教育の対象から外されてきた歴史があります。養護学校義務制完全実施によって、教育を受けられるようになり、40年以上経ちますが、障害の重い人を宝とする教育実践はどこまで積み上げられてきているのでしょうか。学校教育では、就労をめざすためのキャリア教育が推進され、事業所では、事業収益を多くあげる事業所が高く評価さ れるなど就労偏重の仕組みが強められています。しかし、障害の重い人たちと向き合うとき「何に実践の手応えを感じるか」についての回答が各機関共通していることを考えると、重い障害のある人たちは、障害児教育・福祉とは本来どうあるべきかを私たちに教えてくれているとも考えることができます。

 重症心身障害や強度行動障害のある人たちは、特別なニーズをたくさん持つ人たちです。そのため、卒業後の事業所では、そのニーズに応えるために専用の施設をつくって受け入れていくという考え方もあります。しかし、例えば、作業時間中はバリバリ仕事をしている人が、昼休みになると重心さんの部屋に来て、一緒に音楽を聴き、リズムに合わせて体を動かし、また作業に戻っていくことがあります。普段は ザワザワしたところを苦手とする行動障害の人が、昼休みになるとわざわざみんなのいるところに行って寝転ぶなどといった姿があります。人は人の中でしか成長できないことを考えると、様々な人間関係をそれぞれの必要に応じて選び 取っていける多様性のある環境づくりも大切なのではないかと考えます。

 

(3)支部学習会の深まりによる研究活動の充実を

 滋賀支部では、昨年の学習会で「障害のある人の生活の豊かさをどのようにとらえ、実践をどう考えるか」をテーマにパネルデスカッションと講演をおこないました。パネラーは、就学前(発達支援総合センター)、学齢期(養護学校)、学齢期(放課後デイサービス)、成年期(就労センター) の支援と教育にあたっている方々にお願いし、それぞれの実践の内容と実践への思いを語ってもら い、交流を深めました。その報告は、支部広報誌「しがじん」にまとめる予定ですが、一人ひとりの「生活」を理解し、共感しながらの実践の大切さを学ぶことができました。今後も、「生活の豊かさ」を基本においた実践の深まりを求め、ライフステージにおける各時期のつながりと共同的取り組みを豊かにしていく研究が必要と考えます。

 「生活の豊かさ」に限らず、会員の要求や悩みや、研究運動の充実と結びついた学習会を系統的・継続的に取りくんでいくことも大切と考えます

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